甲子園 大社高校対早稲田、球史に刻まれた忘れられない激闘

2024年8月17日、甲子園。大社対早稲田実業の3回戦を、リアルタイムで見ていた人も、あとから配信で知った人も、たぶん同じところで息を止めたんじゃないかと思う。延長11回、無死満塁からのサヨナラ打。スコアだけ見れば「3対2、大社の勝利」で終わる話だけど、そこにたどり着くまでの過程が、ちょっと出来すぎなくらい濃かった。

32年ぶりの甲子園が、いきなり接戦続き

大社にとって、この夏は32年ぶりの甲子園出場だった。1回戦で報徳学園に3対1、2回戦で創成館に5対4。どちらも楽な試合ではなかったはずだ。3回戦の相手は、伝統校・早稲田実業。互いのエース、大社の馬庭優太と早実の中村心大が、1・2回戦に続いてまたマウンドに立つという投げ合いになった。

初回、大社は相手の送球ミスも絡めて2死一、三塁とすると、5番・下条心之介がライトへ運んで先制。そこから両エースが踏ん張り、5回まではスコアボードにゼロが並ぶ我慢の展開が続いた。

一つのエラーが試合を動かした

均衡が崩れたのは6回。早実の連打で1対1に追いつかれる。そして7回、中堅を守っていた藤原佑選手の後逸で、早実がホームを陥れて2対1。中継を見ていた人なら分かると思うけれど、球場の空気が一瞬で変わる、あの独特の重さがあった場面だ。

エラーというのは、した本人が一番よく分かっている。取り返しがつかないことも、次のプレーでどうにか挽回するしかないことも。この試合の後半、藤原選手がどんな顔でグラウンドに立っていたのか、映像を見返すとつい気になってしまう。

9回、大社が食らいつく

1点を追う9回裏。無死一、三塁のチャンスで、大社は9番・高橋選手のスクイズで同点に追いつく。あと1点取ればサヨナラ、というところまで来たが、早実は内野手を5人にする守備シフトで、この場面をしのいだ。両チームとも、勝つためにやれることを全部やっていた。だから延長タイブレークに入っても、まだ勝敗の行方はまったく読めなかった。

「手を挙げろ」に応えた2年生

延長11回、大社の攻撃前、石飛監督がベンチで選手たちに聞いたという。ここでバントを決める自信がある者は手を挙げろ、と。手を挙げたのは、この夏まだ公式戦に一度も出ていなかった2年生の安松大希選手だった。

無死一、二塁、代打で打席に入った安松は、1球見送ったあと、三塁線にきっちり転がして内野安打。自らも生きて、無死満塁を作った。緊張していなかったと言えば嘘になると思うが、本人は後に「チームで自分にしかできないことがある」というような気持ちで打席に立ったと振り返っている。

148球を投げた男が、自分で決めた

満塁で打席に入ったのは、この日ずっとマウンドを守り続けていた馬庭投手だった。エースに「打ってくれ」と願う場面のはずが、その本人がセンター前へサヨナラ打を放つ。11回、149球。2失点完投の末に、自分のバットで試合を終わらせた。

出来すぎな展開だと思う。ただ、馬庭投手にとってこれが初めての完投ではない。報徳学園戦は9回、創成館戦は10回、そして早実戦は11回。3試合連続で最後までマウンドを譲らなかった、その積み重ねの上にあったサヨナラ打だった。

エラーをした選手に、駆け寄った

試合が終わった瞬間、真っ先に馬庭投手に抱きついたのは、7回にエラーをした藤原選手だったと伝えられている。誰かのミスを誰かのせいにするのではなく、次のプレーで取り返そうとする。そういう空気がこのチームにあったのだとしたら、9回のスクイズも、11回のバント安打も、偶然ではなく必然だったのかもしれない。

1年後も、まだ泣いている人がいる

この試合、実は今でも語り草になっている。地元紙のコラムには、1年近く経ってから見逃し配信を見返して「泣き、ダイジェストを見て泣き、お風呂に入ってもう一回泣いた」という読者の声が紹介されていた。馬庭投手自身はその後、東洋大に進学し、リーグ戦のタイブレークでも好投を見せているという。甲子園の1試合が、進学先の記事でもまだ引用される。それくらい、この試合は多くの人の記憶に居座り続けている。

大社はこの勝利で、1931年の大社中時代以来、93年ぶりのベスト8進出を果たした。数字だけ見ると歴史的、の一言で片付けられそうになるけれど、実際には初めて公式戦に出た2年生のバントと、エラーをした選手への駆け寄りと、149球投げ抜いた投手の一振りが積み重なった結果だった。スコアボードの「3x-2」という数字は、そのすべてを飲み込んでしまうには、ちょっと小さすぎる気がする。

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