「若い時の苦労は買ってでもせよ」家康の人質時代が凄すぎる

「若い時の苦労は買ってでもせよ」ということわざを聞くと、真っ先に頭に浮かぶ歴史上の人物といえば徳川家康じゃないだろうか。幼くして人質に出され、辛酸をなめながら耐え忍び、最後には天下統一を成し遂げる。分かりやすいサクセスストーリーだし、大河ドラマでも何度もこの構図で描かれてきた。

ただ、今回いろいろ調べてみたら、この「苦労物語」自体、実はけっこう脚色されている部分があるらしい。というわけで、通説と史実のギャップも含めて、家康の人質時代を掘り下げてみたい。

6歳での人質行き、いきなり裏切りに遭う

家康(当時は竹千代)が人質生活を始めたのは、わずか6歳のとき。三河の松平家は、尾張の織田と駿河の今川という二大勢力に挟まれた弱小勢力で、生き残るために今川方に竹千代を人質として送ることになった。

ところがこの護送、道中で随行していた戸田康光という人物に裏切られ、竹千代は今川ではなく敵対する織田信秀のもとに送り届けられてしまう。歴史人の解説記事によれば、最近の研究では「騙されたのではなく、父・広忠が織田との戦いに敗れたために人質に出さざるを得なかった」という説も出てきているらしいが、いずれにせよ6歳の子どもが敵方に取られてしまったのは事実だ。その後、2年ほど織田家の人質として過ごしたのち、今川方が織田信広(信長の異母兄)を捕らえたことで人質交換が成立し、竹千代は今度こそ今川義元のもとへ移る。

実は「冷遇」どころではなかった、という見方

ここからが今回いちばん興味深かったポイントだ。歴史学者の濱田浩一郎氏がプレジデントオンラインで指摘しているのは、「今川家での人質時代は不遇だった」というイメージは、『三河物語』などの後世の書物によってかなり盛られている可能性が高いということだ。

実際には、今川義元は竹千代の元服にあたって自分の名の一字を与えて「元信」と名乗らせ、立派な甲冑まで贈っている。この甲冑は現在も静岡浅間神社に伝わっていて、色あせてはいるものの、当時は鮮やかな紅色だったと分かる一級品だという。さらに16歳になった竹千代は、義元の姪にあたる築山殿と結婚し、今川一門に組み込まれてもいる。

つまり、単に「かわいそうな人質」として放置されていたわけではなく、今川家にとっても将来の家臣として育て上げる価値のある存在として、それなりの投資を受けていたことになる。

それでも「苦労」がなかったわけじゃない

とはいえ、待遇が良かったからといって、この時期がまるごと安泰だったわけでもない。竹千代がまだ人質として他家にいた1549年、実父・松平広忠が23歳の若さで死去している。死因については、家臣による暗殺説と病死説の両方が古くから伝えられており、『三河物語』や『徳川実紀』は病死として記録する一方、『岡崎市史』などには刺客に襲われたとする説も残っていて、実際のところは今も定まっていない。ただ、いずれにせよ竹千代は実父を失い、故郷の岡崎城の実質的な後ろ盾もないまま、6歳から19歳まで、通算で10年以上を人質として他家で過ごすことになった。エリート教育を受けていたとしても、実家の統治権を自分の意思で行使できない、帰る場所が定まらない生活が10年以上続いたという事実そのものは、当時の6〜19歳の少年にとって相当な重圧だったはずだ。

この人質生活が終わるのは、1560年の桶狭間の戦いで今川義元が織田信長に討たれたときだ。後ろ盾を失った家康は、ここで初めて独立した大名としての道を歩み始めることになる。

私が思う、このことわざの本当の意味

私は、今回このエピソードを調べていて、「苦労」の中身をもう少し具体的に分解して考える必要があるんじゃないかと感じた。よく語られる「人質としてひどい扱いを受けた苦労」というのは、後世の脚色がかなり混ざっている可能性が高い。一方で、「10年以上、自分の意思で人生の方向を決められない状態に置かれ続けた」という苦労は、史実としてかなり確からしい。

つまり家康が得たものは、貧しさに耐える忍耐力というより、決定権を持たない立場で長期間過ごしたことによる、忍耐と観察眼のようなものだったんじゃないかと思う。今川という大きな組織の中で、教育を受けながらも常に「今は自分の番ではない」という状況に置かれ続けた経験は、独立後の慎重な戦略や、豊臣政権下での辛抱強い立ち回りにもつながっているように見える。

「若い時の苦労は買ってでもせよ」ということわざを家康に当てはめるなら、大事なのは「貧乏や理不尽に耐えること」そのものではなく、「自分の裁量が制限された環境の中でも、学び続けて機会を待つ姿勢」の方なんじゃないだろうか。

まとめ

家康の人質時代は、通説で語られるような一方的な悲劇ではなく、今川家からの厚遇と、実父の死や10年以上に及ぶ不自由な立場という現実の両方が同居する、意外と複雑な時期だった。

ただ、脚色を差し引いてもなお「凄い」と思う部分は残る。6歳から19歳という、本来なら自分の将来を自分で決め始める年齢の大半を、実家の後ろ盾もないまま他家の意向に委ねて過ごし、それでも腐らず学び続け、最終的に天下統一という結果に結びつけた。悲惨さで語るドラマとしての凄さではなく、10年以上「自分の裁量がゼロに近い状態」に置かれながら心が折れなかった、という一点だけでも十分に凄まじい経験だったと思う。物語としての分かりやすさよりも、この複雑さの中にこそ「苦労は買ってでもせよ」の本当のヒントがあるように思う。


参考・情報源

  • PRESIDENT Online「NHK大河ドラマを信じてはいけない…徳川家康が今川家の人質時代に味わった『本当の苦難』とは」(歴史学者・濱田浩一郎氏)
  • 歴史人「いじめられていたわけではない!? 織田家人質時代の徳川家康と織田信長の関係性」
  • 幻冬舎ゴールドオンライン「NHK大河『どうする家康』徳川家康が織田信秀、今川義元の人質になった意外な経緯」
  • ホームメイト「徳川家康の人質時代(幼少期)」

コメント