留岡幸助と家庭学校――流汗鍛錬に込めた更生の思想

流汗鍛錬(りゅうかんたんれん)」という言葉、聞いたことはありますか?汗を流して体を動かすことで人は鍛えられる、という意味の言葉です。これを教育の柱に据えたのが、明治時代に「家庭学校」を作った留岡幸助(とめおか こうすけ)という人物。

なお「富岡幸助」という表記で検索する方が多いのですが、正しい漢字は「留岡」です。この記事では、彼の生涯とアメリカ留学、そして「流汗鍛錬」という理想が本当に非行少年の更生に効果があったのかを、筆者なりの視点も交えながら掘り下げていきます。

             出典元:Wikipedia富岡幸助 北海道家庭学校礼拝堂

留岡幸助ってどんな人?年齢・留学・結婚

まずは基本情報を箇条書きで整理します。

  • 生年:1864年(元治元年)、現在の岡山県高梁市生まれ
  • 職業:牧師、教誨師(きょうかいし)、社会事業家
  • 留学時期:30歳前後(1894〜1897年)
  • 代表的な功績:1899年、東京・巣鴨に「家庭学校」を創立

生まれてすぐ親類の留岡家の養子となり、10代でキリスト教の洗礼を受けました。同志社神学校で新島襄に学び、卒業後は牧師に。結婚については記録が少ないのですが、留岡の妻である夏子・きく子の2人は、ともに高梁の教育者・福西志計子の教え子だったとされています。2人の妻がいるということは、最初の妻を早くに亡くし再婚した可能性が高そうです。この辺り、当時の女性の記録の残りにくさを感じる部分でもあります。

なぜアメリカへ?犯罪の原因を「家庭の愛情不足」に見た

留岡がアメリカに渡ったきっかけは、北海道での過酷な体験でした。

  • 1891年、北海道・空知集治監(そらちしゅうちかん:今でいう刑務所)の教誨師に就任
  • 強制労働を強いられる囚人たちと日々向き合う
  • 話を聞くうちに、ある共通点に気づく

過酷な強制労働を強要される囚人たちに接し、彼らの多くが、その生い立ちに問題があることを実感したのです。つまり犯罪の原因を「個人の性質の悪さ」ではなく、育った家庭の愛情不足に求めたということ。褒められる経験、楽しいと感じる経験、人を傷つけずに認められる経験の欠如が、非行の芽になるという発想です。

明治の刑務所の中でこの視点にたどり着いたのは、正直かなり早熟だったと思います。ただし裏を返せば、当時の日本の刑罰制度がいかに「更生」より「罰」に偏っていたか、という証拠でもあります。

留学先でのエピソード

留岡は1894〜1897年、アメリカで2つの施設をまわっています。

  • マサチューセッツ州のコンコード感化監獄で実習
  • ニューヨーク州のエルマイラ感化監獄で施設長ゼブロン・リード・ブロックウェイに直接指導を受ける

日本ではまだ厳罰主義の時代、更生に重点を置くアメリカの感化監獄のあり方に大きな影響を受けたとされています。彼はそこで囚人とともに過ごしています。

ただ、当時のアメリカの感化監獄も理想郷ではありません。厳しい規律も残っていた時代です。留岡がすべてを美化して持ち帰ったわけではなく、「更生には教育と労働の環境が必要」という骨子だけを日本流にアレンジした、というのが実情に近いはずです。

帰国してから:刑務所の教誨師を経て学校創設へ

帰国後、留岡はいきなり理想の学校を作れたわけではありません。

  • 帰国後は東京府の巣鴨監獄で教誨師として勤務
  • 並行して感化院設立のために奔走
  • 1899年、東京・巣鴨に家庭学校を創立

国の感化法ができて公立施設が法定化される前年に、民間人である留岡が先に動いていたことになります。理論を学んで終わりではなく、現場に戻ってから実践に落とし込むまでちゃんと段階を踏んでいるのが印象的です。

「流汗鍛錬」という理想は非行少年にどれだけ効いたのか

家庭学校の理念の核が、この「流汗鍛錬」です。塀や格子の代わりに、農作業や家事、木工といった生活の中の労働を通じて、少年たちの人格形成を目指しました。

  • 「能く働き、能く食べ、能く眠らしめる」という三能主義
  • 塀を作らず「愛情と信頼」を壁の代わりにする
  • 北海道分校(現・北海道家庭学校)では農業や酪農を通じた生活教育を実践

人は汗を流して初めて何かがわかるもの。自分で行動すること。誰かが運んできた(誰かが汗をかいた)ものを私たちは、食べたり使ったりしているが、それを自分でやってみると、モノを大切にする心ができてくる。そして、その日の疲れでちゃんと眠り、決まった時間に食事をする――この規則正しい生活リズムそのものが、荒れた生活を送ってきた少年たちにとっては大きな意味を持ったと考えられます。何かに没頭して「できた」という達成感を積み重ねることは、褒められた経験の少なかった子どもにとって、自己肯定感の再構築につながったはずです。

とはいえ、これを万能薬のように語るのは危険だとも思います。労働自体が更生の特効薬というより、「大人と一緒に汗を流す時間そのもの」が信頼関係の土台になった、というのが実態に近いのではないでしょうか。単に体を動かせば非行が治るわけではなく、その労働に寄り添う大人の存在があってこそ機能した仕組みだった、と捉えるのが妥当だと感じます。

まとめ

留岡幸助は、刑務所の現場で「犯罪の原因は家庭にある」と気づき、アメリカ留学で更生の仕組みを学び、帰国後は自らも刑務所勤務を経てから家庭学校を創設した人物です。その中心にあった「流汗鍛錬」は、単なる体力づくりではなく、規則正しい生活と信頼関係を取り戻すための手段だったと言えます。

美談として語られがちですが、実際には試行錯誤の連続だったはずです。100年以上前のこの発想は、非行や更生支援のあり方を考える上で、今でも立ち止まって考える価値があるテーマだと思います。

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