kemioが語学学校の校長先生に会いに行った理由

『アナザースカイ』でkemioがロサンゼルスの語学学校を再訪する回を見た。渡米当時の校長先生と再会するという企画だった。

華やかな今のkemioしか知らない人には想像しづらいかもしれない。でも10年前は、英語もろくに話せない一人の青年が、知り合いもいない街にただ飛び込んだだけだった。

そもそも、なぜロサンゼルスだったのか

kemioが本当に住みたかったのはニューヨークだったらしい。でも当時はそれだけの経済的な余裕がなかった。日系スーパーがあって、日本からの距離もニューヨークより近い。だからロサンゼルスを選んだという。

この話、私は結構好きだ。海外挑戦というと「憧れの街に飛び込む」みたいなドラマチックな決断をイメージしがちだけど、実際のところは「まず生き延びられる場所を選ぶ」という、地味で現実的な計算のほうが先にある。夢よりも先に、家賃と食費の心配をする。それが普通だ。

バーで覚えた英語

語学学校の教室だけでは、当然、現地の生きた会話にはついていけない。kemioは授業のあと、地元の人が集まるバーに通い詰めて、体で言葉を覚えていったという。

語学学習って、単語帳を何周したかより、知らない人の前で恥をかいた回数のほうが効くと思う。文法的に正しい英語より、通じた英語のほうが記憶に残る。バーでの試行錯誤は、まさにそういう類のものだったんじゃないだろうか。

実は、けっこう壮絶な生い立ちだった

ここまでは「行動力のある人のサクセスストーリー」として読める。でも今回いろいろ調べていて知ったのだが、kemioは2歳のときに事故で両親を亡くし、1歳上の兄と一緒に祖父母に育てられている。

この事実を知ってから記事を読み返すと、「完璧を待たずに動く」という彼のスタンスが、単なるポジティブ思考のキャッチコピーではなく、もっと切実な場所から来ているように見えてくる。安定した後ろ盾を最初から持たなかった人ほど、動きながら考えるしかない。そういう背景があったのかもしれない、と勝手に想像している。

点と点がつながった10年

2019年には初めての著書がヒットし、賞も獲得した。2020年の冬にはついに、当初は諦めていたニューヨークへ拠点を移す。語学学校、バー、出版、受賞。一つひとつはバラバラの出来事に見えるけれど、10年経った今振り返れば、全部がつながっている。

面白いのは、これは本人が「点を線にする計画」を立てていたわけではなく、その場その場で動き続けた結果として、あとから線になって見えているだけだということだ。順番が逆なのだ。行動が先で、意味づけはいつも後からついてくる。

校長先生に、何を伝えたのか

再会した校長先生に、kemioがどんな話をしたのかは番組を見ないと分からない。ただ、当時の彼が優等生だったとは思えない。英語もままならず、慣れない街で迷子になっていたはずの生徒が、10年後に自分の足でその教室に戻ってくる。それだけで、伝えたいことの大半はもう伝わっている気がする。

「なんとかなる」という言葉は、たしかに軽い。でもkemioの10年を知ってしまうと、その軽さの裏にどれだけの回り道と恥ずかしい失敗が積み重なっているか、少しだけ想像できるようになる気がする。

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