「なんとかなる」なんて、簡単に言うけれど。ニューヨーク在住の動画クリエイターkemioさんの10年間を追っていくと、その言葉の裏にある泥臭い行動量に驚かされる。英語もろくに話せないまま単身アメリカへ渡り、泥棒被害に遭い、それでもバーに通い詰めて言葉を身体に染み込ませ、気づけばモデル契約を掴んでいた——。私はこの一連のエピソードを調べながら、「行動力」という言葉が持つ本当の重みを再確認させられた気がしている。今回は、kemioさんがアメリカで過ごした10年間と、当時通った語学学校で後輩たちに伝えたい想いに迫っていく。

ニューヨーク在住の動画クリエイターkemioって、そもそも何者?
kemioさんは、1995年10月16日に神奈川県で生まれ、高校生の頃に短尺動画アプリ「Vine」で注目を集めた人物だ。その後、日本国内で活動していたが、2016年の末頃に単身アメリカへ渡り、ロサンゼルスの語学学校に通いながらSNSやYouTubeでの発信をスタートさせた。
現在は、日本のYouTuber、ファッションモデル、タレント、エッセイストなど多方面で活動しており「デジタル世代のカリスマ」と呼ばれるほどの影響力を持つ。YouTubeのチャンネル登録者数は200万人を超え、193cmという高身長とファッションセンスを活かしてモデルとしても活躍しており、Instagramのフォロワーは120万人に達している。
私は正直、最初にkemioさんの経歴を追ったとき、「華やかな人生」というイメージが先行していた。でも調べれば調べるほど、その裏には地味で泥臭い下積み時代があったことが見えてくる。
英語も喋れぬままアメリカへ渡ったkemioのリアルな苦労
なぜロサンゼルスを選んだのか
実はkemioさん、本当はニューヨークに住みたかったらしい。しかし当時の経済状況では現実的ではなかったようだ。当初は本当はニューヨークに引っ越したかったが、当時は経済的に厳しくニューヨークでは生活が立ち行かないと考えていたという。加えてロサンゼルスには日本人が多く、大きな日系スーパーがあるという安心感や、日本からの距離がニューヨークより近いという実利的な理由からLAを選んだそうだ。
夢や憧れだけでなく、「まず生き延びられる場所を選ぶ」という現実的な判断があったことに、私は妙な説得力を感じた。海外挑戦というと勢いだけで語られがちだが、実際は生活基盤をどう確保するかという泥臭い計算が土台にある。この視点は、これから海外に出ようとする人にとって参考になるはずだ。
語学学校とバーで身体に叩き込んだ「生きた英語」
英語がほとんど話せない状態でアメリカに渡ったkemioさんにとって、語学学校での日々は決して楽なものではなかったと想像できる。教科書の英語だけでは現地の会話にはついていけない。だからこそ、彼は教室の外に飛び出し、地元の人たちが集うバーに通い詰めて生きた言葉を体で覚えていったという。
私はこのエピソードに、語学習得の本質を見た気がする。文法や単語をいくら暗記しても、実際に人と向き合い、感情を伴った会話を重ねなければ「使える言葉」にはならない。kemioさんの行動は、語学学習における理想論ではなく、現場でしか得られないリアルな学びだったのだろう。
ひたすら行動してモデルの契約を掴み取るまでの道のり
言葉の壁を乗り越えながら、kemioさんはただ英語を学ぶだけでなく、自分の可能性を広げるための行動を止めなかった。2019年4月にはKADOKAWAより初の著書『ウチら棺桶まで永遠のランウェイ』を出版し、15万部を突破するベストセラーとなった。国内での発信を続けながら、同時にアメリカでの活動基盤も築いていったのだ。
こうした地道な発信活動と行動の積み重ねが評価され、2019年2月には『GQ MEN OF THE YEAR 2019』および『スニーカーベストドレッサー賞2019』を受賞している。海外での知名度がまだ確立されていない段階から、日本とアメリカを行き来しながらチャンスを掴みにいく姿勢が、結果としてモデルとしての評価にもつながっていったと考えられる。
私は、成功のプロセスというのは決して一直線ではないのだと改めて感じた。語学学校に通い、バーで会話を重ね、本を出版し、賞を獲得する一見バラバラに見える行動の一つひとつが、後から振り返れば全て「掴み取るための布石」になっている。行動を止めなければ、点はいつか線になる。kemioさんのキャリアはまさにその実例だと思う。
アメリカに渡って10年。語学学校で後輩たちに伝えたい想いとは
ロサンゼルスでの生活を経て、kemioさんはロサンゼルスで知り合った親友マイルズと共に、2020年の冬頃にニューヨークへ移住した。かつて「経済的に厳しい」という理由で諦めていた憧れの街に、行動を積み重ねた結果として拠点を移すことになったのだ。
アメリカに渡ってから10年という節目を迎えた今、思い出の地であるロサンゼルスの語学学校を再訪し、当時お世話になった校長先生と再会するという機会もあったようだ。「どんな生徒だったか」と問われるシーンを想像すると、きっと当時は決して優等生ではなかっただろう。英語もままならず、慣れない土地で悪戦苦闘していたはずだ。それでも今、後輩たちに伝えたい想いがあるとすれば、それは「完璧を待たずに動くこと」の大切さではないだろうか。
私は、この「語学学校で後輩に伝えたい想い」というテーマこそ、この記事で一番読者に届けたい部分だと感じている。英語が話せるようになってから行動するのではなく、話せないうちから飛び込んでいく。その順番の違いが、10年後の景色を大きく変えるのだと思う。
まとめ
英語も話せぬまま渡米し、泥棒被害という思わぬ試練にも見舞われながら、ひたすら行動を続けてモデル契約を掴み取ったkemioさん。その10年間は、華やかな結果だけを見ていては分からない、地道な積み重ねの連続だった。語学学校でのリアルな苦労、バーで培った生きた英語、そして止まらない行動力これらすべてが、今のkemioさんを形作っている。
これから海外挑戦を考えている人、あるいは何か新しいことに一歩踏み出せずにいる人にとって、kemioさんの歩みは大きなヒントになるはずだ。完璧な準備が整うのを待つ必要はない。英語が話せなくても、まず動いてみる。その姿勢こそが、10年後の自分を大きく変える力になるのだと思う。



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