バレーボール日本代表 深津英臣 ~「深津三兄弟」が支える日本代表魂~

2026年のバレーボールネーションズリーグ、日本対中国戦をご覧になりましたか?選手たちの技術やコート内でのコミュニケーションに惹きつけられました。中でも今回注目したいのが、スキンヘッドがトレードマークのセッター、深津英臣選手です。愛知県豊田市出身で三人兄弟の三男として生まれ、長男の旭弘さん、次男の貴之さんとともに小学生からバレーボールを始めました。今では「深津三兄弟」としてバレー界に知られる存在です。今回は、深津選手がバレーを始めた頃のエピソードから、兄弟との切磋琢磨、日本代表への道のり、そして名言や心構えまでを掘り下げてご紹介します。

深津英臣選手はどんなセッターなのか

1990年6月1日生まれ、身長181cmのセッターで、現在はウルフドッグス名古屋に所属しています。日本代表監督のロラン・ティリ氏とはパナソニックパンサーズ時代に4シーズンともにプレーした間柄で、指揮官からの信頼も厚い選手です。堅実なトスワークと豊富な経験でチームを支えるベテランセッターとして知られています。J SPORTSVolleyballking より)

バレーボールを始めたきっかけと兄弟との絆

深津選手がバレーボールを始めたのは、3人兄弟の末っ子として、先にバレーを始めていた2人の兄の背中を追いかけてのことでした。両親自身は特別スポーツ経験者ではなかったものの、体格に恵まれ熱心な性格の父親の影響もあってか、3兄弟そろってバレーボールの道を歩むことになります。

出身高校は強豪として知られる愛知県の星城高校で、長男の旭弘選手は春高バレーや国体で3位に入賞し、三男の英臣選手も春高バレーで準優勝、インターハイと国体では優勝を果たしています。高校卒業後は3人そろって東海大学に進学し、旭弘選手が4年生、貴之さんが3年生、英臣選手が1年生の時期には、同じチームでプレーした時期もあったそうです。年齢もポジションも近い兄弟が同じチームで競い合った経験は、深津選手の技術と精神力を鍛える大きな土台になったと言えるでしょう。Wikipedia より)

三兄弟で刺激し合い成長した学生時代

セッターとしての技術は、実は中学3年生の時に転向してから磨かれたものだといいます。兄たちも同じセッターというポジションを歩んだことで、家庭内には常に「良いトスとは何か」を語り合える環境があったはずです。最初に脚光を浴びたのは三男の英臣選手で、2013年に日本代表に選出されると、2015年のワールドカップや2016年のリオ五輪世界最終予選でセッターを務め、2017年には日本代表のキャプテンも任されました。長男・旭弘選手も2010年に全日本メンバーに登録され、国際大会出場の経験を持っています。兄弟そろって日本代表の舞台に立った経験は、まさに切磋琢磨の結晶です。 Number WebKagerou-kazoku より)

日本代表への道のり — 初選出からキャプテンへ、そして苦難の時代

パナソニックパンサーズ入団後、尊敬する宇佐美大輔選手から背番号「2」を受け継ぎ、清水邦広選手や福澤達哉選手といった日本代表経験者とともにプレーしながら経験を積みました。しかし順風満帆だったわけではありません。リオ2016オリンピック出場をかけた世界最終予選では日本代表セッターとして戦いましたが、オリンピック出場権を掴むことはできませんでした。2017年からの東京2020に向けた新体制ではキャプテンを任されたものの、予選大会からチームに絡むことができず、東京2020、パリ2024の代表からは外れる苦しい時期が続きました。Olympics + 3 より)

4年ぶりの代表復帰 —「自分で勝ち取れたんだ」

35歳になった深津選手は、4年ぶりに日本代表への復帰を果たしました。前所属のパナソニックパンサーズから地元・愛知県のウルフドッグス名古屋へ移籍したシーズンには、大きく顔ぶれの変わったチームを巧みにまとめ上げ、優勝争いに絡む結果を残し、自身の実力を改めて証明しました。その活躍が評価され、優秀なセッターの証であるSVリーグレギュラーシーズンの「ベスト6」にも選出されています。記事タイトルにもなった「自分で勝ち取れたんだ」という言葉には、苦しい時期を経てもなお諦めずに実力で這い上がってきた深津選手の矜持がにじみ出ています。Volleyballking + 2 より)

深津選手の語録に見る芯の強さ

深津選手の言葉には、逆境をどう捉え、成長の糧に変えてきたかがよく表れています。リオ五輪予選での悔しい経験について、あの経験があったからこそ今の自分があると振り返り、技術面よりもメンタル面で未熟だったと当時の自分を分析しています。また、スター選手が揃うパナソニックパンサーズ時代を振り返り、練習から良いトスを上げなければ打ってもらえないというプレッシャーが、自身を成長させる要素になったと語っています。厳しい環境をポジティブに捉え直す姿勢は、多くのアスリートやビジネスパーソンにも通じる示唆に富んでいます。OlympicsJ SPORTSより)

日本代表としての心持ち

代表から遠ざかっていた期間も、深津選手は腐ることなく自分自身を見つめ続け、研鑽を重ねていたといいます。世界と戦う日本代表を「外から」眺め続けながらも力を磨き続け、再びチームに戻ってきた今、代表チームの中で改めて輝きを放っています。2026年のネーションズリーグでは、男子日本代表は開催国中国を3対1で下すなど白星を重ねています。ベテランならではの落ち着きと、若手を活かすトスワークは、まさに深津選手が積み重ねてきた経験の賜物と言えるでしょう。Olympics月バレ.comより)

まとめ

深津英臣選手のバレー人生は、3人兄弟で支え合いながら歩んできた道のりそのものです。兄弟で同じ高校、同じ大学に進み、時に同じチームでプレーしながら技術を磨き合った経験、リオ五輪予選での悔しさ、東京・パリ大会での落選という苦難、そして35歳での代表復帰という物語は、多くの人に勇気を与えてくれます。次回、日本代表戦を観戦する際は、コートに立つ深津選手が背負ってきたこうした背景にもぜひ注目してみてください。

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