兵庫県朝来市にある「竹田城跡」は、“天空の城”として全国的に有名ですよね。雲海に浮かぶ幻想的な景色を見て、「一度は行ってみたい」と思った人も多いのではないでしょうか。
でも、竹田城の魅力はこの絶景だけではないんです。歴史好きの心をつかんでいる理由は、この他にもいろいろありそうですので、その魅力に触れてみたいと思います。
戦国時代、この城は「無血開城」という大変珍しい形で後世に竹田城の名を広めることになりました。つまり、大きな戦いをせず、犠牲者を最小限にとどめて城を明け渡したのです。
戦国時代といえば、激しい合戦や謀ごと、裏切り、生死を懸けた攻防をイメージする人が多いはずです。そんな中で、なぜ竹田城は戦わずにすんだのでしょうか。
さらに最近では、NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」で竹田城が描かれたこともあり、再び注目を集めています。主演の仲野太賀さんが演じる豊臣秀長と、竹田城との関係が気になって検索した人もいると思います。
この記事では、竹田城の無血開城の歴史や背景を、できるだけわかりやすく解説していきます。歴史にあまり興味がない方でも楽しめるように、当時の武将たちの思いや時代背景も交えながら紹介していきたいと思いますので、ぜひ最後まで読んでみてください。
竹田城 無血開城とは?
竹田城は、現在の兵庫県朝来市にある山城です。標高約350メートルの古城山の山頂に築かれ、室町時代に但馬地方を守る重要拠点として存在していました。
現在では石垣だけが残っていますが、その姿はまるで天空に浮かぶ城のよう。特に秋から冬にかけて発生する雲海との組み合わせは圧巻で、度々テレビなどでも「日本のマチュピチュ」と紹介されています。
そんな竹田城が歴史の大きな転換点を迎えたのが、1577年ごろの戦国時代です。
当時、織田信長の勢力は急速に拡大していました。そして中国地方攻略を任された羽柴秀吉、後の豊臣秀吉が但馬へ進軍してきます。
竹田城を守っていたのは太田垣氏。しかし圧倒的な織田軍の勢いを前に、竹田城側は徹底抗戦ではなく「無血開城」という道を選びました。
つまり、大規模な戦闘を避け、城を明け渡したのです。
戦国時代では「最後まで戦って散る」イメージが強いので、これはかなり珍しい決断でした。
竹田城 無血開城はなぜできたのか
竹田城が無血開城できた最大の理由は、織田信長と羽柴秀吉の勢力が強すぎたことです。
当時の信長は、天下統一へ向けて各地を制圧している真っ最中。しかも、秀吉は中国攻めで次々と成果を上げていました。
但馬地方の小規模な勢力だけで対抗するのは、かなり厳しい状況だったのです。
現代風に言えば、「勝ち目がほとんどない戦い」だったとも言えます。
もちろん武士としては戦いたい気持ちもあったでしょう。しかし、戦えば城下町や民衆まで巻き込まれる可能性があります。
だからこそ、無駄な犠牲を避けるために無血開城を選んだとも考えられています。
城や領民を守るための決断だった
戦国武将というと、「命を懸けて戦う」イメージがありますよね。
でも実際には、“生き残ること”も重要な戦略でした。
竹田城の無血開城は、単なる降伏ではなく、「これ以上被害を広げないための現実的な判断」だった可能性が高いのです。
歴史好きの間でも、
「負け戦を避けた賢い選択」 「領民を守った名判断」
と評価されることがあります。
個人的にも、こういう歴史を見ると、「戦わない勇気」って意外と難しいんだなと感じます。
特に戦国時代の武将たちは、“武士の面子”を非常に大切にしていました。そんな時代に無血開城を選ぶのは、かなり苦しい決断だったはずです。
竹田城 無血開城と豊臣兄弟の関係 -仲野太賀主演「豊臣兄弟!」でも話題に-
最近、竹田城が再び注目されている理由のひとつが、NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」です。
この作品では、豊臣秀吉の弟・豊臣秀長を主人公に、兄弟の絆や戦国時代の激動が描かれています。主演を務めているのは俳優の仲野太賀さん。
実際に2026年5月放送の「風雲!竹田城」という回では、竹田城攻めが描かれ、多くの視聴者の注目を集めました。
SNSでも、
「竹田城ってこんな歴史があったんだ」 「無血開城って意外だった」
という声がかなり聞こえてきました。
豊臣秀長の存在が再評価されている
これまで豊臣秀吉ばかりが注目されがちでしたが、近年は弟・秀長への評価も高まっています。
秀長は「調整役」として非常に優秀だったと言われており、戦だけでなく外交や統治にも長けていました。
「もし秀長が長生きしていれば豊臣家は滅びなかった」とまで言われることもあります。
竹田城の無血開城のように、戦を最小限に抑える考え方は、まさに秀長らしいとも感じますよね。
仲野太賀さんの演技もかなり評判がよく、「人間味のある秀長像」が人気になっています。
竹田城 無血開城に隠された“戦わない戦国時代” -戦国時代は「戦えば正義」ではなかった-
戦国時代というと、どうしても「戦って勝った者が英雄」というイメージがあります。
でも実際には、戦わずに勢力を拡大する武将も少なくありませんでした。
例えば、 ・外交 ・同盟 ・寝返り ・和睦
なども重要な戦略だったのです。
その中で竹田城の無血開城は、「戦国時代のリアル」を感じさせる出来事とも言えます。
ドラマやゲームだと派手な合戦が注目されますが、現実には「戦わないほうが得」という場面も多かったのでしょう。
無血開城は、一見すると「敗北」に見えるかもしれません。
ですが視点を変えると、“完全に滅びないための選択”でもあります。
もし徹底抗戦していたら、 ・城が焼かれる ・領民が犠牲になる ・家系が断絶する
可能性も十分ありました。
だからこそ、無血開城は「未来を残すための判断」だったとも考えられます。
こういう歴史を知ると、竹田城の景色も少し違って見えてきますよね。
ただの絶景スポットではなく、“武将たちの葛藤”が残る場所に感じられるはずです。
竹田城はなぜ「天空の城」と呼ばれるのか -雲海シーズンは幻想的すぎる-
竹田城が全国的に人気になった大きな理由は、やはり雲海です。
秋から冬の早朝、気象条件がそろうと、城跡の周囲に雲海が発生します。
その姿がまるで空に浮かぶ城のように見えるため、「天空の城」と呼ばれるようになりました。
初めて写真を見たとき、「本当に日本?」と思った人も多いのではないでしょうか。
実際、私も初めて見たときはかなり衝撃的でした。
石垣しか残っていないのに、逆にその“余白”が幻想的なんですよね。
歴史を知ると観光の見方も変わる
竹田城は、歴史を知らなくても景色だけみても人を惹きつける十分な魅力を兼ね備えています。
でも無血開城の背景や、戦国武将たちの思いを知ってから訪れると、また違った感覚になります。
「あの時、この場所でどんな決断があったんだろう」 「戦わない道を選んだ武将は何を考えていたんだろう」
そんなことを想像しながら見る景色は、かなり深みがあります。
最近は“歴史観光”を楽しむ若い世代も増えていますので、竹田城はまさに「映えるだけじゃない観光地」だと思います。
竹田城 無血開城の歴史から学べること
竹田城の無血開城は、単なる「戦わずに降伏した話」ではありません。
そこには、 ・民を守るための判断 ・勝ち目を見極める冷静さ ・未来を残す戦略
など、戦国時代のリアルが詰まっています。
特に最近は、NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」の影響もあり、仲野太賀さん演じる豊臣秀長や竹田城の歴史に興味を持つ人が増えています。
戦国時代というと「戦い」ばかりが注目されがちですが、本当にすごい武将は、“戦わない選択”もできたのかもしれません。
だからこそ竹田城は、今でも多くの人を惹きつけているのでしょう。
もしこれから竹田城を訪れる機会があれば、ぜひ景色だけでなく、その裏にある「無血開城の歴史」にも注目してみてください。
きっと、天空の城の見え方が少し変わるはずです。

